フォトアルバム

最近のつぶやき

The HERO

名人戦 対局日程

モバイル棋譜中継

最近のトラックバック

ブログ内検索?


  • このサイトを検索
    WWW を検索 Google

« エッセルのメープルクッキーが美味しい日 | メイン | 富士そばのカレーライスセットが美味しい日 »

2010年12月 8日 (水)

2010年12月初旬の書評?

『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』
5級向け、初段向け、五段向け書評

【5級】
内容(「BOOK」データベースより)
“勝負師、研究者、芸術家の貌を併せ持ち、40歳の今も最高峰に立つ「考える人」。その真の強さとはいったい何か? 10篇の「観賞」と「対話」が織り成す渾身の羽生善治論。”

現在の将棋界において「最強棋士」と目されている羽生名人が、なぜただ一人圧倒的な実績を残すほどの強さを保ち続けているのか、タイトル戦におけるリアルタイム観戦記と、棋士たちとのリアリティーに富む対話から探っていく。とりわけ、“インサイダー”向けには吐かないとも思われる、棋士たちによる“部外者”たる著者への生の声に羽生将棋の強さの背景が見え隠れし、非常に面白い内容となっている。あらためて、将棋というゲームの面白さ、奥深さに加え、人間臭さを感じさせられる一冊である。

【初段】
本書のタイトルは、著者によると「残酷な問い」であるという。確かに、ほとんどの将棋を愛するファンは、羽生以外のトップ棋士たちもそれぞれ “常人離れ”した存在であることを理解している。しかし、長年に渡って羽生一人がまるで将棋の神様に選ばれたように際立った実績を残し続けているのも事実であり、羽生と他のトップ棋士との紙一重の差がどこにあるのかというのは、コアな将棋ファンにとっても・・・というよりむしろ、実はコアな将棋ファン(とくに、羽生に痛めつけられることの多い棋士のファン)ほど関心があるのではないかとも思う。その紙一重の差の答は、本書の中で著者による“解答例”(おそらく、将棋をあまり知らない人向け)が示されているものの明確に断定されているわけではなく、「大局観・棋風」「コンピュータ将棋」「若手棋士」「研究」「後手番問題」をそれぞれテーマにした対話篇でのやりとりをヒントにして、読者それぞれがちょっと「残酷な問い」について考えてみませんか?というのが本書のコンセプトで、それをきっかけにして将棋・プロ棋士の世界に魅力を感じて欲しい、羽生の他にも才能豊かで人間性溢れる棋士が多くいることをわかって欲しいというのが著者の主旨のようである。

実際、上記5つの対話篇は将棋界をよく知らない読者にとってもこの世界の壮絶さがよく伝わる内容で、非常に読み応えがある。個人的には、第三章に大満足。舞台となっている羽生と山崎との対局(2009年王座戦第2局)では私も対局場所の大盤解説場におり、終局直後の両者の表情を1メートルもない至近距離で見ている。同じように「若手が羽生世代に挑む」という図式で佐藤に敗れた渡辺(2007年棋聖戦第1局)が終局後の大盤解説場であまりにも堂々と振る舞っていたのを目の当たりにしていたこともあり、あのときの羽生の表情、そして何より山崎の泣きそうな表情(当時の私の日記には“悔しさを通り越した疲労感”と記してある)は強く印象に残っていた。山崎の表情の痛々しさのウラにどういうことが起こっていたのかは将棋世界での著者によるエッセイ(本書にも収録)で知ったわけだが、自らの口から当時の心境と自身の解釈を赤裸々に話す山崎に、勝負師としての資質という点で少しがっかりさせられると同時に、さらに応援したくなるような人間的な魅力を感じざるを得なかった。

また、「コンピュータ将棋」「後手番問題」といった内容は、まさにいま現代将棋が抱えている大きなテーマであり、これらに対する羽生のスタンスが読み取れる意味で、著者の前作に引き続き現代将棋を観て楽しむための良い指南書・参考書になると思う。

【五段】
説明不要だと思うが、この5級向け・初段向け・五段向けという分別は、まさに著者によるリアルタイム観戦記のパクリである。まあ一応は、「5級」=羽生(の強さ)を知らない層、「初段」=羽生が第一人者であることを知っている層、ということを想定しているつもりだが、正直なところ、それほど考えて書いているわけでもない。大事なのは、このような「5級向け」というカテゴリーを設けたのが著者で、すなわち、これまでからずっと著者が将棋ファンの裾野を広げるための発信を行っていたこと。ネット発信力の大きい方が熱狂的将棋ファンであり、しかもこうした努力を継続していることに、将棋界は大いに感謝しなければならない。

さて、「五段」=コアな将棋ファンということでいいのだろうが、この層に対して私の書評など全くの蛇足と思うので、以下は書評ではなく私の戯言(五段向け)と思っていただければ幸い。

五段の層のなかでどれだけ認識されているのか知らないけれど、私がネット上で本書のタイトルについて噛み付いた(というより、実感としては「噛み付かれた」)一人であるのは間違いのないところ。本書の編集者が微々たる発信力しかない一将棋ファンの記事に敏感に反応してきたのは正直驚いたけれど、それだけタイトルについての評価にアンテナを張っているのだなと感じた。著者も本書発売後日に自身のブログ(梅田望夫のModernShogiダイアリー)でこのようなタイトルを付けた背景と意思について詳しく説明している。

私が本書の発売とタイトルを知ったとき、最初に感じたのは「また、羽生ですか」ということだった。著者の前著である『シリコンバレーから将棋を観る』は、将棋ファンの裾野を広げるためのバイブルのような書で、誰もがその内容の素晴らしさと将棋普及への有用性を認めたからこそ、あれほどの猛スピードで有志による英訳プロジェクトが進められたのだと認識しているが、その『シリコンバレーから将棋を観る』にも「羽生善治と現代」という副題が付けられていた。確かに、最終章における羽生と著者との対談には、現代将棋を観て楽しむためのキーポイントがふんだんに盛り込まれており、この書全体の総括的位置付けにあることは否定しないが、わざわざ羽生の名前を副題にするのは「佐藤や深浦や渡辺は添え物」と言っているようでいい気がしなかった。当時思ったことは、羽生というビッグネームは本を売るのに都合がいいんだろうなあ、確かに自分が編集者ならそうするのかなあ(私自身、編集者に本のタイトルを替えられた経験がある)という商売上の戦略と、著書自身の意向かどうかはわからないけれど『ウェブ進化論』の梅田望夫にして、羽生という名前に頼らなければいけないのかという将棋界に対する危機感。結局、羽生の名前を副題に用いた理由の正答は前述した著者自身のブログに書かれている内容そのもので、「将棋にほとんど関心のない人に、将棋に目を向けさせる」ための手段として「羽生」を使ったということのようである。ブログ中にある「たとえば私だって囲碁の世界については、張栩さんくらいにしか関心がない。」との一文を見て、なるほど、囲碁界に関して真っ先に「張栩」に関心をもつ人ならば「将棋界の入り口は羽生」という発想に至っても何の不思議はないと大いに納得した次第。そして、将棋に関心のない層の大半が、将棋に関して一つ関心をもつとすれば「羽生」ということになるのかもしれない。

話を戻して、そういう「羽生」という名前を副題にする違和感があらかじめあったために『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』というタイトルに「また、羽生ですか」と感じたわけである。さらには、どんな内容が書かれているのかをネットショッピングサイトで調べてみると、「5級」書評の冒頭に挙げたことが書かれている。どうやらベタベタの羽生善治論のように見える。羽生善治論の本なら「羽生」という名前がタイトルに入るのは当然だし、梅田望夫が真っ向から羽生善治の強さを論じる本なんて面白くない訳がない。ところが、前著の副題に対して佐藤や深浦や渡辺が蔑ろにされているという一方的な思いがあったために、「だけ」という語句にはカチンとなった。

さすがに「どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?」
というタイトルの本は心情的に買えません。
「どうして羽生さんは~」なら喜んで買いますが。
「だけ」とつけるほうが、将棋ファン以外には受けるんでしょうけどね。

ツイッターでのこのツイートを当時どれだけの方が目にしたのかは知らないけれど、ちょうど本書が書店に置かれようかという日にこのツイートを引用して余計な文章を書き、本書の編集者に目を付けられた(度々失礼)という顛末である。しかし、余計な文章を書いてから編集者に名指しされるまでの間に、私は本書を購入して読んでいた。購入時は多忙であったため本書全体を精読できなかったが、もちろん、本書冒頭の「はじめに」を最初に読み、私自身が本書のタイトルによって壮大に釣られたことを一瞬で把握したのだった。一応、本書の編集者も私がなんだかんだ言いつつも本書を購入したことをわかっていて絡んできた(度々度々失礼)そうなので、ある意味、一つ話題(?)を提供できたことはよかったと思っている。

それでも、『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか?』というタイトルは、私としては受け入れられなかった。著者の本意がどこにあろうと、このタイトルを客観的に見れば「どうして羽生さん以外の棋士は、羽生さんより弱いんですか?」とほぼ同値である。そう読み取られる可能性がある背表紙を、人の出入りが多い私の仕事部屋の本棚に大事に大事に立てるのでは、私が羽生以外の棋士に敬意を払っていないように見えてしまう。被害妄想も甚だしいというところだが、これは気持ちの問題なので仕方がない。本棚に置くと背表紙が常に見えてしまうことがポイントなのだ。

そこで、購入した本書は私の所有物ではないとした。つまり、誰かにプレゼントすればいい。そんな流れから仕事部屋の近くにいる者の間で本書が回し読みされ始め(多分に、私が読むように強く押し付けた面もある)、読んだ数人から貴重な感想・コメントも得た。羽生を知らない者(林葉直子は全員知っていた)や羽生を“過去の人”と認識している者(そう指摘され、あの七冠達成からもうすぐ15年になるのだと実感)にとって、将棋の世界はどうやら私が思っていたよりずっと敷居の高い世界らしいが、常人離れした才能をもつ集団がそれぞれの将棋観によって将棋というゲームを追及する姿には、将棋の対局の内容がほとんど理解できなくても(研究者という面で)何か共感できるものがあるようで、「難しすぎる」と言いながらもそれぞれ読了した模様。今後、彼らが将棋の世界に興味を示してくれるかどうかはわからないけれど、少しでも気に留めてくれていたら嬉しく思う。できることなら、雑誌『ゲームラボ』の2010年6月号もセットで回し読みできれば、相乗効果によって将棋への興味が増したのかもしれないが、残念ながら『ゲームラボ』は、えっちなページが多いのである。モザイクがいっぱいあるような雑誌を仕事場で回し読みするわけにはいかない。えっちなのはいけないと思います!

そんなわけで、出張中の移動時間を使って
梅田さんの新刊を精読し終えたので、
書評っぽいものを書いてみようとしたものの
大部分を戯言に費やしてしまいましたorz
著者の梅田望夫さん、編集者の岡田育子さん、
度重なる失礼な言葉、何卒お許しください。
このたびの新刊が多くの人たちに愛読され、
将棋への関心が高まることを
一将棋ファンとして心より願っております。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.blog.eonet.jp/t/trackback/366942/25554453

2010年12月初旬の書評?を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿